審査員長 小林 敬生
(一社)日本版画協会理事・多摩美術大学名誉教授
何よりも、第21回はんが甲子園が開催される運びになりました事をお喜び申し上げます。
新型コロナが未だ終息せず、様々な分野で中止や延期が相次ぐ昨今です。この大会も、第20回展は予選審査を終えながら、本戦は急遽中止のやむなきに至りました。本戦出場を果たし心躍らせて準備していたであろう14チーム、42名の選手たちの無念の思い、心情は察するに余りあるものです。
本年も開催が危ぶまれる中、早くから検討に入りリモート開催を選択されたことはまさに先見の明といえましょう。いかなる方式であれ20年間にわたり積み重ねてきた歴史のページを、更に積み重ねたいと願う実行委員会の方々の熱情と英断に心からなる感謝を申し上げる次第です。
とはいえ、状況が状況です。応募してくれる高校が果たしてあるのか?締め切りまで只々不安の日々でした。
応募高校、全27校(14府県)応募総数166点。団体戦16校28チーム、初応募高校2校。個人戦82点、初応募高校6校、という報告を受け正直、安堵!!安堵の思いでした。
団体戦参加校が減少したのはコロナ禍の中、様々な事情を抱えて授業や部活動もままならない高校も多々あり、当然とも言えましょう。その中で初参加校が8校を数えたと言う事は、むしろ望外と喜ぶべきと考えて居ります。
さて、審査です。
今回は緊急事態宣言下という事で実行委員会の判断により、第1次審査を佐渡市で、中川佐渡版画村美術館理事長を中心にお願いし、団体戦、個人戦共に候補作品を絞り込み、東京に送って戴いて最終判断は審査員長として私が・・・
という手順で本戦出場校、個人受賞者を決める事になりました。
本大会は発足以来、ブロック別代表校、一校一チーム、という原則を守って来ました。今回の応募状況ではブロック別という枠は外さざるを得ませんが、しかし一校一チームが問題でした。団体戦応募16校のうち、複数チームが応募している中の二校のレベルが突出して高く、作品のみで比較した時、一校から二チームの本戦出場を認めても良いのではないかと言う意見もあったからです。
こうした報告を受け私の手元に届いた作品を前に呻吟、です。
本戦候補の大半が一校1チームの中一校が2チーム、もう一校は3チームが残っていました。
確かにそのレベルは高く、チーム間の優劣はつけ難い程に拮抗していました。
それでも私は心を鬼にして“一校一チームの原則”を守る事にしました。
この大会は、単に優劣を決めれば良いというものではありません。これからの日本を支えていくであろう世代に対する教育的という使命も担っているのです。
私たちは、本戦出場によって過酷なスケジュールの中で作品を完成させた選手たちの達成感にみち、晴れ晴れとした表情を目の当たりにして来ました。試練を乗り越えた時に身につける自信こそが、これからの人生を歩む上での糧となるのです。今回も、一校でも多くの高校生に“自分の力に自信を持つ”という経験をして欲しいとの願いからの決断でした。
個人戦は、個人戦参加82点と団体戦で本戦出場を逃した42点、計124点の中から10点を選出します。今回印象的だったのは、小野忠重が創案した陰刻法と、それに類した一版多色摺りの作品の数多さです。黒地に色版を摺り重ねるという方法で、基底素材である紙の質を問わない、色相の重なりによる重量感とマチエールが生かしやすい、などの利点があります。1次審査で選ばれた30点余り、その半数近くがこの技法に近い作品でした。色面の強さが他の技法を圧倒したということでしょう。
私は出来るだけ幅広い表現に光りを与える様、配慮すべきと考えています。ひとくちに“版画”と言っても様々な技法、表現があり一括りにして比較すべきでも、又出来るものでもありません。特に水性木版画の多版多色摺りの作品は高い技術力を必要とします。その他の技法も含め技術的な完成度に関しては高校生レベルを、制作にはひたむきさを、そして何よりも今後の“可能性に期待”して選考する事にしました。その結果が今回の受賞作品です。
やはり悩ましい時間の末選んだのが個人戦の受賞作品ですが、勝るとも劣らない作品が数多くあったことはいうまでもありません。